●第一話
●第ニ話
●第三話
●第四話
●第五話
●第六話
●第七話
●第八話
●第九話
●第十話
●第十一話
●第十ニ話
●第十三話
【第一話_レエンコオト】
白濁した雲の下、小さなわたしは、小さな雨傘をさして歩いています。
視界はうろんと、
ふと、大きな水溜まりの中を、ゆっくり、覗き込みました。
そこに映っていたのは、わたしでなく、
小さな頭の、黄土色の顔をした、小鬼のような生き物でありました。
わたしが初めて、わたしでないわたしと出逢ったのは、
そんな水鏡の中でのことでした。
唐突な晴れ間、
小さな悲鳴を上げたあと、
化け物のようなわたしは、
「もう放っておいて」
と、泣いていたのです。
【第ニ話_さよならホワイト】
3月11日。
レコーディングスタジオにいたわたし、
この歌を歌い始めた瞬間、突然、
あの、大きな大きな揺れが、襲って来たのです。
立つことも儘ならないまま、
機材やら棚やらが、次々に倒れて、
窓ガラスを叩き割りました。
ニュースを聞きながら、
ゴワゴワと、落ち着かない気持ちで、倒れたものを起こし、
割れた窓を塞いで、
そのあと。
余震に揺られながら、
気合いで、この歌を録り終えました。
それからの日々、ましてや今現在に至るまで、
この国が、すっかり揺れる国に変わってしまうこと、
知らなかった、最後の日でした。
第三話_浴室
歌詞の概要については、
絵本『浴室』で、すっかりさらってしまったので、
あまりくどくど書くのも、ちょっとナンセンスです。
ですので、少し違った角度の「浴室」の話を。
実際のところ、この歌詞は、随分と長いのです。
それはもう、絵本でつらつらと述べたことよりも、ずっと。
ぜんたい、何故そんなに浴室に固執して書いたのや、
当のわたしにも、実際、はっきりとは解らないのですが。
兎に角、わたしにとって、
「閉塞を決め込む」ということ=浴室
というような、自黙のひと括りがあって。
あの、湿度に満ち満ちた、
空気もうまく吸えないような、圧倒的な閉鎖感。
まるで、体ごと真空パックにされたような、
自分だけがぴっちりと、見えない膜に包まれたような、
湿度が齎す、重たい安堵感。
そういった事柄全てによって、浴室は、
他の何処の部屋に閉じこもるよりも、ずっと画期的で、
安心感を与えてくれる要塞のような空間に、
あっという間になってしまうのです。
只、バスタブに、水を溜めるということだけで。
秘密も真実も、バスタブの底に沈めておくもの。
そうしたら、全てが水膜に覆われて、
ついには時間に至るまで、失われるものなど、
何ひとつ、なくなってしまうような気がするのです。
第四話_水槽理論
夢の階段を下る
水槽の底に沈めた
硝子玉の理論
それは何もかも忘れるため
水槽の底に渦巻いた
本当のこと
第五話_円い夜
今作迄の収録で、わたしは、
3〜4回、この曲を歌い直しています。
殊更、大切にしている曲なので、
収録される媒体が変わる度に、迷走して、否否、と、
録直しをしていました。
なので、すべての音源を持っていらっしゃる方は、
3っつくらいの、進化論の如きマイナーチェンジされたこの曲を、
持ってくださっていることになります。
大切過ぎて、思い入れが過ぎて、
中々どうにも、完成しない曲なのです。
歌詞一つとっても、未だになんとかならないものか、と、
思っている箇所が、本当のところ、何箇所かあります。
きっと、ずっとずっと、拘わり続けているうちは、
曲など、自分にとっては未完成なまま、続くものやも知れませんが。
最終的には、そうやって迷走し続けているうちに、
この曲を、さして大切に思わなくなる日の方が、
かえって近くなってしまいそうです。
(そんな日が来てしまわないように、
いっそうのこと、ずっと迷走していたい。)
そんな風にも、最近は、思ってしまうのです。
第六話_赤い森、黒い傘。
この曲については、
どのように書けば良いのか、迷います。
アウトラインを渫うだけですが、
内容を不快に思う方もいらっしゃるやも知れません。
どうか、ご容赦ください。
歌詞は、友人に頼まれて書きました。
いつかの夏、友人とその恋人との間に、
子供が出来たことから、始まってゆきます。
残念なことに、
臆病な男性に懇願され、
友人は、出産を諦めなければならなくなってしまいました。
もう、交際をしてから10年以上経っていたし、
年齢も、決して若くはなかった友人は、
実際のところ、結婚や、家庭を持てることを、
かなり期待した、と云います。
恋人の不誠実な(と、本人は云いませんでしたが、わたしはそう思います)反応に、
彼女は絶望し、何日かが過ぎてゆきました。
彼女から、わたしに連絡が回ってきたのは、その暫く後、
堕胎手術の前日の夜でした。
(明日には、この子が居なくなってしまう。
この子がこの世に存在していたことを、
歌として、形にして、残してはくれないだろうか。)
と、おおよそ、そのような頼みでした。
わたしは、友人に、
歌詞の素材となる単語でも、文章でも良いから、
テキストにおこして、送ってくるように云いました。
重苦しい気分で、待つこと数時間。
テキストを添付したメールが、
順番に、大量に、送られてきたのは、
もう外も明るい、朝6時を回っていました。
頁にして、80枚弱。
目を通すだけでも、相当滅入る作業でした。
悲痛に満ち満ちた、沢山の想いが羅列されていました。
かといって、わたしまで参っている余裕はなく、
彼女が病院へ行くまでの数時間で、歌詞におこさねばならないという、
重大な役目がありました。
勿論、80頁余の文章を、全て採用する訳にはいかず、
出来るだけ冷静に努めて、歌詞としてはまりの良い単語を、
切り貼りするように、抜粋したり、ニュアンスをぼかしたりしながら、
一曲の歌詞として、仕上げました。
時間は9時40分。
「できたよ。」とだけ書いて、送信しました。
その後、何分もせずに電話が鳴り、
号泣しながら御礼を云う友人に、
やはり、ごく冷静を決め込みながら、
この曲を必ず盤にして届けるという約束、
クレジットをどうするか、
「堕胎」というあたりの単語は出せない旨等、
事務的な話を済ませたあと、
昼から病院でしょ、わたし行くよ。
と云いましたが、
病院は彼が付いて来てくれるから、とのことでした。
手術が無事に終わり、
そこからの日々、友人は目に見えて衰弱してゆきました。
恋人とは変わらず付き合っていましたが、
すっかり何か大切なものが変わってしまった気がする、
と、彼女は云いました。
曲を聴かせる手段として、
彼女はとてもライヴハウスに来られるような状態ではなかったので、
初めてステージ発表をしたあと、
その録音を持って行きました。
その時の反応は、割愛します。
兎に角、早くちゃんとした盤にして届けたい、
と思いながら、
年を越し、1月。
彼女は自ら、想い続けた子供の元へ、旅立ってゆきました。
アルバムの発売まで、あと2ヶ月、というところでし?た。
本当にアウトラインのみですが、
これがこの曲に関する、全ての事象です。
言葉にして歌う、という重要な役割を果たす、
わたし以外の唯一の人物として、
コーラスのかゆちゃんには、先述の経緯を、
ざっくりと説明しました。
その後のライヴから、
よりいっそう、大切に歌ってくれるようになったかゆちゃんを見て、
ずっとこらえてきた涙がいきなり溢れ出たことは、
ここでだけの話です。
第七話_公園で.
実際、この曲を曲としておこしたのはもう9年程前、
とてもとても、古い曲になります。
その間、進化とも退化とも云えるような、
曖昧な作業を繰り返し繰り返し、
現在の形に落ち着きました。
一番最初から辿って現在は、最早、原型も留めておらず、
タイトルすら、変わっています。
(当初、イントロは、アコーディオンメインでありました。)
歌詞も勿論、9年前に原型を書いたので、
最早、他人が書いた詩のようで、
文章全体の意図するところも、
作中の「君」というのが、
誰を指しているのやいないのやも、
全くもって、解らないのです。
こんな風に、自分の気持ちも見当がつかなくなる時がくるなんて、と、
少しだけ、聞き覚えのない自分を、楽しんでいたりもするのですが。
また9年後、どんな気持ちで、このアルバムを聴くのでしょう。
その時わたしが見るわたしは、
わたしの知っているわたしで、居られるでしょうか。
第八話_見知らぬ神様
テレビで、有名な方の訃報を聴く度に、
悲しみも痛みも、
ちゃんと感じられている心の隅で、
いつも、
(この方には、遂に一度も会えなかったな)
と、当たり前この上ないことを、思ってしまいます。
思春期の頃は、
ビョークもポーティスヘッドも、誰も彼も、
会ったこともないくせに、ごく普通に、心のよるべにしていました。
だけどそれは、
精神衛生上、素晴らしく良いことではないか、と、近頃は思うのです。
少女期に夢中で聞いたようなアーティスト、
殊ミュージシャンに関しては、
大人になってから、狭い世界の中で、実際にご一緒できることも、何度かあり、
その度に、大概思うのです。
会わなければ良かったと。
勿論、全ての方がそうではないし、
寧ろ、勝手に印象を作り上げていたのはこちらの方なので、
誰が悪いかって、
自分が悪いのやも知れません。
きっとこれからも度々、
会ったことも触れたこともない、
見も知らぬ人を神様に仕立て挙げて、
ひとり、一喜一憂してしまうのでしょうね。
第九話_かごめ、かごめ
混沌の晩、夜明けの晩に、
諦めきって眠る人、
何者かになりたくてジレンマを起こす人、
誰かを泣かしたくて仕様がない人、
誰かに泣かされたくて仕様がない人、
見知らぬ人とキスをして、恍惚と背徳感に浸る人、
型に嵌りたくない人に、
何でも訳知り顔の人。
自己顕示欲に塗れた、
皆がどうにかなりたい夜。
皆が皆、どうでも良い夜。
わたしたちは群れになり、
籠の中、渦巻いています。
第十話_ツキヨノ
遠くに
少しずつ
首元に
子猫
掌に
感触
その
人の
詩を書く
左手 大崎
馬場 目と
歯で
五核の星を結び
七時起きで
君は蘇る
第十一話_ロマネ
雨の夜の子供たち
居場所が欲しい子供たち
言葉が欲しい子供たち
答えが欲しい子供たち
何故 朝が来れば
星は死んでしまうの?
第十ニ話_菫埜
所謂、終末の歌ですが、
ものすごく、優しい気持ちで書いたのを覚えています。
例えば何か、大変なことが起きて、
すべての人が危機に晒される時が来てしまったら。
例えば、隣人がお腹を空かしている、その瞬間に、
真横で食事を摂る、なんてことは、きっと出来ないでしょう。
隣人も、そのまた隣人も、そのまた隣人も、すべての人や動物が、
淘汰される時が来たら、
それと共に淘汰されるのが、自然な在るべき流れだと思うのです。
そして来るべき時、月も太陽も死んでしまって、
もうすっかり、明日の世界に希望がなくなった、その日の晩には、
大切な人が、出来るだけ穏やかに、静かに、眠りにつけますように。
そんな祈りの曲です。
第十三話_sumiRe;no
荒廃の果てにのみ存在する安住の場所に「菫埜」があるとして。
そこから、全てを0に返してくれるような、
満月の如く、ぽっかりと夜空に穴を開けたような、
ごく当たり前のように、
目の前に明らかに射し込み、全てをリセットしてゆく、素晴らしい奇跡。
オオヌキタケシさんという人物像と、彼の生み出す音楽たちに触れてみると、
いつでもそんな、光に触れたかような感覚に包まれます。
その感覚を覚えた瞬間、その光につと、触れてしまった瞬間、
このsumiRe;noという曲から、抜け出せなくなっているのです。